本州最東端のヨギー達

本州最東端の地元宮古市で活動するヨギー・ヨギーニの話。

インストラクター・ヨーガ指導者にとっての“自信”とは。

こんにちは。
POYANICAのサイトでも月間フライヤーでも正式な告知を開始しつつありますが、2020年はいよいよヨガインストラクター養成講座がスタートします。

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講座開始に先立って無料説明会を2月と3月にとりあえず2回開催する予定でいますが、ひとが新しいスタートを踏み出す枷になる物をここで1つ打ち砕いておこうかと思います。

 

それは自信の無さ。
「私なんかがこんな事出来るかしら」
「私なんかがインストラクターになれるかしら」
そんな言葉がよぎる方も多いのでは。

 

じゃあそもそもヨガインストラクターの自信って何なのか。

 

自分を根拠も無く盲信する事はただのエゴ。
エゴ丸だしのインストラクターのレッスンなんて嫌だけど、でも自信無さげなインストラクターのレッスンも不安になって嫌ですよね。

 

私には尊敬する仲間が沢山いますが、彼らのレッスンやインストラクションはとても堂々としていて魅力的。
その堂々たる、ひとを惹き付ける力強さはどこから来るのか。

 

私が思うインストラクター・ヨーガ指導者の“自信”の正体は知識と経験
エゴの“自信”にはエビデンス・根拠が無いけれど、まっとうにヨガに取り組んでいるインストラクター達の言葉は豊富な知識によって裏付けされていて、培ってきた経験によって深みを増します。

 

全くのイコールとも違うと思うけど、あえて数式で表すなら
自信≒知識×経験×愛

 

最後に愛が加わるのは、ただの「正しい言葉」ではひとの心に響かないから。
私達は機械じゃない。
正しい内容だからと無機質に語りかけられてもそれは何にも沁みていきません。
それでは「心に響いて、人を惹きつける自信に溢れた姿」にはなり得ない。
知識や経験を温かく、まぁるく包み込んでアウトプット出来るものが必要なんです。

 

そしてさらに言えば
知識はひたむきな努力で得るもの。
経験は実直に実践する事で得られるもの。

 

つまり
自信≒努力×実践×愛
いえ、もっと踏み込めば自信という言葉さえ、本来適当ではないんですよね。
タイトルそのものを打ち消すような言い方ですが、正確にはインストラクターが“自信を持ってやっている”訳じゃなくて、傍から見て“あのインストラクターは自信に溢れているように見える”だけ
「自らを信じて」やってる訳じゃない。

 

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信じるとか、信じないとか、そんな揺らぐ心の持ちようひとつ、さじ加減ひとつで変わるもので動いてるんじゃない。
ただ堂々と安定してるんです。
だって、知識や経験はアップグレードされて変化する事はあっても“心”ってゆう不確かなもので揺らがないじゃないですか。
今まで根拠としていた知識やデータが間違っていたと新たな学びで気づいたら正せばいいだけなんです。

 

だから別に、インストラクターが自分にたっぷりの自信を持ってる訳じゃなくて、要は頑張ってるんですね。笑
頑張って得てきたものが、彼らをどしっと頼もしい存在にしている。
「素敵なインストラクター」と聞いて貴方が思い浮かべた彼も彼女も、これまでずっと頑張ってきた素晴らしい人。

 

「自信をもって!」と闇雲に言われても「どうやって?」って感じですが、「ただ貴方らしく頑張ればいいだけよ」って言われたら「そっか」って感じがしませんか。

 

知らない事、新しく踏み出す世界は最初は怖いかもしれないけど、大丈夫。
ヨガの世界は最後の「×愛」で優しく包み込まれてるから。