あれから2年。
こんにちは。
突然ですが、2年前の今日、私はインドに向けて宮古市を出発しました。
スタジオオープンして間もない頃から行きたくて行きたくて仕方なかったインド。
でもなかなかチャンスが訪れず2年ほど恋焦がれた末にやっと行ったインドでした。
でもね、今ならよく分かるんですが、きっと「インドに行きたかった」のはインド行きの動機の半分くらい。
インド出発が迫ってきた頃に夫がぽろっと言った一言。
「俺から巣立ちたいんでしょ」
時間が経てば経つほど、この言葉がジワジワきました。
まさにその通りだったから。
夫は私の7歳年上、当初はほとんど接点がなかったとはいえ私が学生時代の頃も知っています。
そして社会人になってすぐに付き合い始めたのでなんとなく『保護者が親から夫へスライドした感』がありました。
自分の中に軸になるものや核になるものも特になく、ただなんとなく普通の生活が出来ていればいいと思っていた20代前半。
若い頃はそんな夫が与えてくれる優しさや愛情にどっぷり浸かってぬるま湯みたいな環境に甘んじる事も心地よかったんだと思います。
でも年を経て、ライフワークだったり自分のやりたい事もどんどん増えて、私は私でありたいと思うようになっていって。
私が22歳の時からずっと一緒だった夫。
7つも離れているので沢山甘やかしてもらって、頼って、一歩引いた妻を気取ってみたりしたけれど、その実自分の人生の諸々を夫に転嫁したりおっかぶさってサボっているだけじゃないか。
それに気づきはじめたら、そんな状態が嫌で嫌で、脱却したくて仕方なくなっていった。
別に夫が嫌になったとかじゃなく、夫に庇護された半人前の人生から一人前になって夫と横並びで歩いて、ちゃんと夫だったり人様の役に立てる人間になりたいと思うようになったんです。
ヨガを始めて、まして仕事にしてからはさすがにそんな部分はどんどん減っていったとは思うけど、それでもまだ「夫離れの仕上げ」をしたくてしょうがなかったんだと思います。
そしてもっとヨガを勉強したかった私にとって「インド行き」は夫から離れる意味でもヨガを深める意味でも非常に重要な機会でした。
だから、インドのアシュラムまでの道中も同じカリキュラムに参加する者同士、事前に連絡を取り合って連れ立って行く事も出来たし、安心や安全を考えたらそうしたい気持ちも多分にあったけれど、「絶対1人で行く!」と意地を張って現地に向かいました。
到着後にアシュラムで支払うお金をシークレットポーチに入れてお腹に収納しての渡印だったので失くしたらとんでもない事になると終始ヒヤヒヤ。
その状態でのトランジット8時間は本当に精神衛生に悪かった…。涙
初めての1人海外。それも行き先はインド。物騒な話もちょくちょく聞くし、英語もろくに出来ないし、私無事に到着して無事に日本に帰れるんだろうか?
そんな事をぐるぐる考えてばかりでした。
けれど、後々色んな人に呆れられた「英語も出来ない人間の1人渡印」も得るものは沢山あるもので。
そんな風にがくがくブルブルと震えた心でインドに向かった私ですが、成田からムンバイに向かう飛行機の中で何気なく見た空が私の心を救います。
私、スタジオオープンの翌日に父を亡くしてるんですが、飛行機の窓から空を見た時に不意に父を感じたんです。
「父さんはこの地球に還ったんだ。今見てる空にも海にも父さんの欠片が分子レベルで紛れ込んでて、全部全部父さんなんだ。父さんが溶け込んだこの世界が無意味に私に酷い事する訳ないじゃないか」
理屈もロジックもあったもんじゃないけれど、この空を見て不意にそんな考えが浮かんで妙に安心した気持ちになったのを覚えています。
父が亡くなった後、気持ちの整理は正直全く追いつかなくて、当時はスタジオの切り盛りという忙しさで自分の悲しさや悔しさを見ないふり気づかないふりをして過ごしていたと思います。
ヨガ哲学を通して父を見つめれば父は自分自身で病気と闘う事を放棄した部分が大きいんだと、闘いながら生きる事より早々に死を受け入れる事を自ら選んだんだと頭では分かるんけど、それでもまだ「もっと何か出来たんじゃないか」と消化出来ていない自分がいました。
そんな私の気持ちの落としどころとして不意にやってきたのが、あの飛行機の窓からの風景でした。
インドについてからは早々に骨がズレるレベルの派手な捻挫をしたり、お約束のようにお腹を壊したり、学びの他に試練の類もインドは事欠きませんでした。笑
でも、毎日慣れないインドの居住空間や空がまだ暗い時間からの瞑想、日本とは全然違う料理、分刻みのスケジュールで行われるヨガのアーサナに座学…とそれなりにいっぱいいっぱいになりながらも自分から余分なものがこそぎ落とされて純化していくのが心地よかった。
インドと日本で時々夫と連絡を取り合っていましたが、そんな私の様子を見て「強くなったんだな」と夫が言ってくれたのがすごく嬉しかった。
あれからあっという間に2年の月日が過ぎて、インドで出会った仲間もどんどん前に進んでいます。
スタジオをオープンした仲間もいれば、ワーキングホリデーでまた海外に行った仲間もいれば、POYANICAと同時期にRYSの認可を取り養成クラス開講に向けて動いている仲間もいます。
同業に信頼して相談できる相手が居るのは本当に心強いし、「うちの店もまだまだだなぁ」って頑張るための着火剤になる。
我が家は今0歳児がいる訳ですが、バリニーズの師に「託児ありよ!」と声をかけてもらっているのでそのうち娘を連れてバリニーズマッサージのブラッシュアップにバリに飛びたいなぁとまた次の目標に向かってワクワクしています。