本州最東端のヨギー達

本州最東端の地元宮古市で活動するヨギー・ヨギーニの話。

娘がくれた『幼い頃私が欲しかった言葉』

こんにちは。
今回はちょっと久々の家族ネタ。


じき4ヶ月になる娘はどんどん表情豊かになって「笑顔を振りまく」という赤ちゃん最強の武器を駆使して、連日連夜望み通り四六時中抱っこ生活を勝ち取っています。

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抱っこしたりあやせばよく笑う娘。親バカなのは重々承知ですが愛おしくて仕方ありません。


ところでうちの夫は私が妊娠7ヶ月の時にキッズヨガの養成クラスに参加して子供の事を脳科学からガッツリ学んで来た訳ですが、そんな夫がちょっと前に言った一言がありまして。


「子供に言う事ってゆうのは、小さい頃の自分にかけてあげたい言葉なんだって」
それを聞いたら、なんだか無性に涙が出てきて。


だって私が毎日毎日娘に必ず言ってるのは
「大好き」
「うちに来てくれてありがとう」

だったから。


そしてもう1つ、もう少し娘が大きくなったら必ず伝えてあげようと思っている言葉は
「あなたの好きに生きていいんだよ(でも責任は持とうね)」


私はそれらの言葉を欲しかったんだなぁ…と思ったらホロホロと涙が出てきて。
娘を抱っこしながら涙ポロポロな私を夫は穏やかに見守って話を聞いてくれました。


この一件でふと気づいたんですが、私、幼少期に親から『褒められた』って記憶があんまり無いんですよね。


誤解がないように言っておきますが、別に虐待されてた訳でもないし両親なりに愛情を注いで『褒めて』くれてたとは思います。
娘が生まれる前は母と2人で日帰り旅行に行ったり、基本的に家族仲は良い方だと思います。


でも手放しに子供を褒めるというより、子供である私の立場で振り返ると幼少期は『査定される』という認識に近かった。


テストで良い点取らなきゃ私には価値がない。
他の子よりすごい所を親に見せなきゃいけない。


一度良い結果を出してその場では褒められたとしてもそれはあくまで『査定』なので、次もまた良い結果を出さないと、と怯えてたというか安心感に欠けていたような気がします。
野球選手の戦力外通告を恐れる気持ちみたいな?

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小さな手でギュッとつかまれると本当にキュンとします。でも「絶対この手を離さない!」とキュンキュンしてる親の心とは裏腹にそのうち放り投げられます。


実際私は高1でストレスからくる機能性胃腸症ってゆうのを発症していて、当時実家でストレスなんて微塵も自覚はなかったけれど、長年私を苦しめたそれは夫と暮らすために実家を出ると同時に驚く程呆気なく治まりました。


だから『無償の愛』的なもので幼少期に自己肯定感のベースを作れていた気がまるでしない。笑
なので家庭で満たされない自己肯定感を補うために加減の分からない小学生の頃とかは友達関係でもマウントをとろうとしてすごく嫌な奴だったと思うし、親の前でも認められたいが故に妙に背伸びして振る舞って可愛くない子供だったと思う。
今にして思えばそれで余計に関係性は拗れていくんですけどね~。


幸い中学校に上がる時、統廃合の兼ね合いで同級生のメンツがガラッと変わって波長が合う友達が増えたら、自分の居場所を感じられるようになって苦しい背伸びの一面は影を潜めていった気がします。
今ならもっと小学校時代楽しく過ごせたよな〜と分かるんだけども、なにせ後悔は先に立たない。
そんな私だったのに小学校の友達が未だに店に来てくれたり、Facebookでコメントをくれたりするんだから申し訳ないやら有り難いやら…。


中学校の同級生とも今でもたまに鍋パーティーしたり、互いに子供を連れてお茶したり、仲良くさせてもらっています。
大事な転機をくれた人達だし、未だにお世話になってる大切にしなきゃいけない友人達です。

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添い寝率高し。この寝顔を見たくてしばらく起きてます。寝不足になって後悔しますが学習せず。写真でパラパラ漫画風な成長日記つけられそうなくらい毎晩撮ってます。

そして今。
父はもう亡くなっていますが、母と娘が一緒にいる様子の甘々な事。笑


「もう少しすると声を出して笑うようになるのよ〜。それがまた可愛いのよ〜。ま、いつの時期だって可愛いんだけどね」
と自分の子育て時代を振り返って話す母を見て私は「えっお母さん私の事可愛いって思ってたんだ」と内心素で驚いたくらいなので、幼少期当時の心中はどんな状態だったんだと。笑


でもそうやって幼少期の私がキャッチし損ねた親の愛情や欲しかった言葉を今娘を介して改めて与えてもらっているので、確執とまではいかずとも私の中に長年燻っていたモヤモヤが日々優しく溶かされています。


「親になって初めて親の気持ちが分かる」
とよく言うけれど、てっきり私は自分が親になるから理解出来るようになるんだな〜と至極単純に考えてました。
でも実際はこんな風に子供(孫)ってゆう新たな存在を媒介してもう一度親の愛を再認識するチャンスをもらえるってゆう側面もあるのかもしれません。


私は確かに愛されていた。
ただ親の発信と私の受信、送受信の相性がちょっと悪かっただけ。


今大人になった自分が当時親が置かれていた状況を聞けば家族が倒れてたり、父の事業が傾いてたり「そりゃぁ色々と余裕なかっただったろうな〜」と理解出来ますし。

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親バカがもう一人。娘は全く意に介しておりません。


夫は夫でやっぱり娘が生まれた事をきっかけに自分の子供時代の事を親から聞かされて思うところがあったりするようで、「子は鎹」と言うけれど、それは夫婦間に限った事じゃないんだなぁとひしひしと感じています。


B.K.S.アイアンガー師のご子息の言葉で「その人のヨガの深まりは家族に対する態度で分かる」というものがあるそうですが、何もない平穏と幸せ一色の家庭なんてどこにも無いだろうけど、それで当然だからって家族間のわだかまりやすれ違いを見てみぬふりするんじゃなく、分かり合えるように努力する事はやめちゃいけない。


そして私がキャッチし損ねたような事にならないように、娘にはなるべく直球に、なるべく分かりやすく、ウザがられる程に愛情を注いでいこうと思っています。
家族みんな、これからもよろしくね。