本州最東端のヨギー達

本州最東端の地元宮古市で活動するヨギー・ヨギーニの話。

ヨガとの出会い

こんな仕事をしていると「元々運動が好きなんでしょ?」なんてイメージをもたれる事が多々あるのですが、決して断じて全くそんな事はないんです。笑

それに、そもそも「ヨガ=運動」ではないですしね。

 

私は物心ついた頃から根っからのインドア派。

中高と文化部でしたし、学生時代は割とマジメな部類の生徒だったと思いますが体育の成績は万年「3」。

ダイエットをする時だって「運動するくらいなら、食べない方がマシ」と動くことを全否定するような人間でした。

なので昔の私を知る人ほど、現在の私や私の職業を見ると驚きます。

 

私とヨガの出会いは24歳の頃。

当時の私は臨床研究コーディネーターという新薬開発のデータ収集のような仕事をしておりました。

そもそもが看護学校出身なので、物の考え方は完全に西洋医学

カラダが不調を起こしたら薬を飲んで当たり前という考えの持ち主でした。

 

でも、西洋医学や薬への信仰ではどうにもならない事態が私や我が家を襲いました。

何をしても死ななそうな(オイオイ。苦笑)、大熊みたいで頑丈な私の父が突然のガン&余命宣告をされたんです。

咽頭ガンで部位が部位なだけに手術は不可。

程なくして抗がん剤放射線治療が始まりますが、入院中の父と電話で話した時の衝撃を私は忘れられません。

 

入院前は変な空咳をしているな、という程度の症状だった父。

それが抗がん剤が始まった途端副作用で息も絶え絶えになったんです。

当時わたしは北海道で暮らしていて、父は地元岩手。

お見舞い替わりにかけた電話の向こうで「抗がん剤をやめたい」と弱々しく悲しそうに言う父。

理屈じゃなくて、感覚で「父さんが病院に殺される」と思いました。

自分は新薬をひとに飲んでもらう仕事をしているのに、です。

 

「お父さん、家に帰ろう。家で出来る治療を考えよう」

考えるより先に、そう父に伝えていました。

 

今思えば、私のヨギーニとしての人生はそこからスタートしていたんですね。

ガン発生のメカニズムや抗がん剤の作用機序、ガンに効果が期待される自然療法などなど、看護学校で学んだ「常識」は全てかなぐり捨てて頭をまっさらにして必死に調べました。

そして調べれば調べる程、今まで「当たり前」と信じて疑わなかった知識や常識に疑問を抱くようになったのです。

 

そして父のための調べものに明け暮れていたある日。

異変は私にも訪れました。

夕方以降、特に夜布団に入ると咳がとまらないのです。

インフルエンザの時のように全身の関節が痛かったのですが、何度計っても微熱。

インフルエンザにしても風邪にしても季節外れだし、微熱だし変だなぁとは思いながらも咳をし過ぎて喉が潰れ、2~3週間ほとんど喋れなくなってしまいました。

さすがに仕事でも困ったので病院を受診すると予想もしていなかった喘息の診断。

私、小児喘息なかったんですよ。それなのに。

しかも時期を同じくしてどんどん他の不調が幕を開けます。

 

思春期でさえそんなに荒れなかった肌が職場の上司や同僚を心配させる程に大荒れしたり、不正出血を繰り返すようになって結局3件の病院をハシゴする日々を送るようになりました。

どの病院のドクターも二言目には「ストレスがかかり過ぎて自律神経が乱れているね」と陰で打ち合わせをしていたかのように同じ事を言いました。

私がへばっている場合じゃない!と鞭打ってきた結果、ボロボロになった私への処方薬は多い時で日に10種類を超えていました。

 

あまりの体調不良っぷりを見かねた夫(当時は婚約者)がついにこの一言を言います。

「ヨガでもやって、身体鍛えてみたら?」

 

でも最初は頑なに断りました。笑

だって、運動嫌いだもん。

 

でもしつこく言う夫に加え、なんと当時2人で暮らしていた住まいの最寄り駅に駅直結のヨガスタジオが出来てしまって…

いよいよ断れなくなった私はしぶしぶ体験レッスンの予約をとる事になります。笑

 

そしてレッスン当日…

絶対入会なんかしないで帰るし!と妙に意地を張りながらスタジオに向かいました。

 

いざレッスンを受けてみると、生まれて初めてのヨガは予想をはるかに超えてキツかったもののインストラクターの凛として優しい声が心地よくて、本当にいつぶりか分からない程久々に「自分で動いて汗をかく」という経験をした私は最後のシャヴァーサナの時間、優しい薄暗がりの中でほろほろと泣いていました。

 

あの頃、何もかもがしんどかった。

 

父さんが死んだらどうしよう。

自分の体調も滅茶苦茶。

起きるのも辛い、でも横になれば咳が止まらない。

父のために調べる程、病院や薬が解決策じゃないと感じてしまう。

でも私の仕事はまさにその薬に携わる仕事。

自分で信じて父にやろうとしている事と自分が就いている仕事が真逆過ぎて、希望に溢れて就いたはずの仕事もどんどんしっくりこなくなってる。

実際私自身、今薬まみれの生活なのに全然体調は良くならない。

でも薬に頼らないで一体何が出来る?

けどやらないと父さんは死んじゃう。

どうしよう、どうしたらいい?

しんどい、しんどい、私、しんどいよ…

 

父の病気やそれに対する調べもの、自分の体調不良やそんな中でもこなさなければならない仕事の中で気づかなかったのか、気づかないようにしていたのか、奥に眠っていた重く黒い塊がシュルシュルと解けて、溢れて出てきました。

温かいシャヴァーサナの時間、何に対してかは分からないけれど「いいんだよ」と言われているような気持ちになりました。

 

こんなに優しくてあったかい時間や空間が世の中にはあるんだ――。

ドロドロの塊を涙で流してシャヴァーサナから晴れやかに起き上がった私は、ヨガを続ける事を決めていました。

 

 

 すご~く長くなりましたが、これがヨガとの出会いですね。

未だに思い返すとちょっと目頭があつくなるのですが…

ガンという命がけのきっかけを与えてくれた父、隣で何度もヨガを勧めてくれた夫、もう名前も覚えてないけれど私の初ヨガでインストラクションしてくれた彼女…

思い返す程に感謝でいっぱいです。

 

大袈裟じゃなく、ヨガに出会えて私の人生は変わったから。

安定の医療職でもない、大手の正社員でもなくなったけど、心の底から幸せで楽しいと言えるようになりました。

 

 

いずれ機会があったら「ヨガインストラクターになるまで」のエピソードも書けたらいいなと思います💡