来世への繰越し制度
「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ」
ガンジーの名言として有名な言葉。
が、本当はガンジー発の言葉じゃないらしい。笑
でもまぁ誰が言ったにせよ素晴らしい言葉ですよね。
ヨガには輪廻転生の概念があって、私は冒頭の名言を初めて聞いた時「あ、輪廻転生有り設定って、こうゆうスタンスで生きろって事ね」と自分の中で腑に落ちた事を覚えています。
“生まれ変わり”
“過去世”
“来世”
こんな言葉が連なっていくとつい人はファンタジーに夢を馳せたくなるものなんだけど。
ヨガにおいてファンタジーに心躍らせるために謳われてる設定でない事は確か。
ちなみにヨガでは怠惰に生きると来世は虫とかに生まれ変わって、ヨガを深めて亡くなれば来世では早い段階でまたヨガに出会えると言われています。
つまり、つまりさ…
ヨガの学びの深度は繰越し可能。
預金通帳みたい。笑
よく「一度きりの人生」ってゆう表現も聞くけれど、これって良い方向にも悪い方向にも振れ得る考え方だと思うんですね。
一度きりの人生だから、最大限に努力して自分の可能性を広げる事に尽力するか。
一度きりの人生だから、とにかく目先の居心地の良さを優先して刹那的に生きるか。
輪廻転生があるよって、要するに後者の生き方を抑制したい発想なんだろうなと思う訳です。
来世虫になっちゃうぞ〜、だから頑張れって。
ヨガの最終目標は一応解脱。
エベレストより高い目標なんです。
今世で到達なんて到底無理な目標なのでもし輪廻転生ってゆう設定が無ければチャレンジするだけ無駄みたいな感覚になる人も沢山いるはず。
どうせ目標達成も無理で人生一度きりなら楽しんだ方がいいじゃんって、私ならきっとなる。笑
でも何世かかけてじわりじわりと目標ににじり寄れるんだとしたら。
「明日死ぬかのように生きろ」
=毎日を悔いなく過ごせ。
「永遠に生きるかのように学べ」
=死んで終わりじゃない。学びの深度はちゃんと来世に繰り越されるから、無駄だと思わずに励め。
うん、それならちょっと頑張ってみようかな。
今世で無理でも来世や来々世や来々々世や来々々々世の私はもう少し高い所へ行けるのかもしれない。
行けなかったとしても、きっと無駄じゃない。
ちなみドライな事を言うと「輪廻転生を信じてますか?」と聞かれたら「信じるかどうかというより、輪廻転生が本当にあるかどうか今の私には分からない」が答えです。
だって現世の私は過去世とか見える人でもないし、記憶がある訳でもないし。
ただ、あると仮定したら、そして深度も繰越し可能だとしたら、今頑張る意欲が湧いてくるっていうただそれだけ。
妙にファンタジーな意味付けをするより、私にはそれくらいがちょうどいい。
(見える方からそうゆうお話聞くのは楽しいし好きですけど、それはまたヨガへの取り組み姿勢とは別腹感覚💡笑)